ゲンゴロウのロレーヌ日記

くまのゲンゴロウが,ロレーヌ地方の町メッスに留学しました。

シャルルロワの古戦場

みなさん,ぼくのこと,覚えておられますか? 古代ローマの水道橋でゲンゴロウ君と知り合った犬のスピカです。

 

今日はゲンゴロウ君のおじさんにつきあわされて,ベルギーのシャルルロワにやって参りました。

 

いきなりディスるようで恐縮ですが,この街は特に有名な観光地ではありません。なので,わざわざシャルルロワを訪れる人は少ないと思います。

 

それでも,この街が多少なりとも知られているのは,詩人アルチュール・ランボー(ARTHUR RIMBAUD)縁の地だから。ここでランボーは「緑亭にて」「いたずら好きな女」の2編の詩を書きました。

 

でも,今日の目的はランボー巡礼ではありません。おじさんの研究している作家が,1914年の8月,この街の郊外を舞台とした戦闘に参加したとの由で,その場所を一度見てみたいそうなんです。

 

そこでおじさん,駅からぼくを連れて,意気揚々と歩き始めました。ところが,国道5号線を歩けど歩けど,目指す村には辿り着けません。

 

道中に軍人を模した人形があるくらいですから,このあたりが古戦場であることは間違いないと思うのですが・・・すでに15キロあまりを走破して,ぼくもおじさんもヘトヘト。

 

おまけにフランス国外ということでスマホがつながらず,グーグルマップも使用不可。なので現在地も不明。原野の真っ只中で,もはや遭難状態。

 

たまりかねて,道すがら出会った老夫婦に道を尋ねたところ,見当外れの場所を歩いていることが判明。ヨレヨレのぼくらを哀れがり「連れて行ってあげるよ。車に乗りなさい」とご親切なお申し出。

 

おじいさん,おばあさん! メルシー・ボークー! おふたりの車に乗ること数分,古戦場案内の看板が見えてきました。

 

おじいさんが向かいの森を指さして「あれが,君らの探している軍人墓地だよ」。

 

駅を出発して3時間。ようやく着きました! この地で亡くなった第1次世界大戦の兵士が眠る墓地です。

 

案内板によれば,シャルルロワの会戦は大戦中最も多くの犠牲者の出した戦いだそうです。なのにさほど知られていないのは,フランス軍は作戦の拙劣さゆえに,ドイツ軍は民間人を巻き込んだがゆえに,双方がこの戦いを隠蔽したがった結果なのだとか。

 

墓地は思いの外こぢんまりとしていました。しかも森の入口の開けた場所で,陽光も差し込み,明るい雰囲気すらあります。


この地に眠るのは,仏軍兵士123名と独軍兵士71名。おじさんが研究する作家は「小さなワルハラ」と表現しています。ワルハラとはもちろん,死後に英雄が集う場所。「ワルキューレ」ですね。

 

ドイツ軍の墓標は黒い十字架,フランス軍のそれは白い十字架。

 

アフリカ植民地舞台の兵士。頭文字のE以外,名前は不明。誰かすらわからないなんて,悲しすぎます。

 

参戦者にはキリスト教徒以外の者もいました。その人々の墓標は,だから十字架ではありません。

 

これが今回の訪問の最大の目的,アンドレ・ジェラメックの墓標。件の作家の親友で,大金持ちの長男でした。ともに戦争に参加したのですが,アンドレだけがこの地で戦死。

 

小説家は,戦後,アンドレの妹と結婚しますが,彼女の莫大な持参金を蕩尽して離婚,という結果に終わっています。

 

もとよりアンドレ・ジェラメックは有名人ではありません。というより無名です。ですが彼の墓標はひときわ立派で目立ちますので,案内板にも彼の名前と経歴が記されています。

 

親切なご夫妻のお陰で,無事,当初の目的を果たしてご機嫌のおじさん。でも帰路を走破するだけの体力は,ぼくたちには残っていません。


そこに運の良い事に路線バスと遭遇。これに飛び乗って,どうやら駅に帰り着くことができました。

 

メッスに帰宅後,スマホの万歩計を見ると,1日で25キロ歩いていました。本当にお疲れ様,ということで,カフェで打ち上げ。以上,スピカからのご報告でした。またお会いできるのを,楽しみにしています。